
「遊穂」年輪
YUHO
御祖酒造
農家・農業
滋賀県高島市「清水光男」
造り・造り手
「御祖酒造」
デザイン・芸術
「イマイ ユタカ」

商品コンセプト
熟成するたびに深まってゆく味わい。料理に寄り添う
日本酒として、食卓に華を添える存在になりたい。
平成15年から蔵の経営を引き継いだ、東京出身で全く畑違いのOLから酒造業界に飛び込んだ現社長「藤田美穂」氏と、日本酒好きが高じてこの世界に飛び込んだ、琵琶の長寿・菊姫・常きげんと能登流の銘醸蔵で研鑽してきた「横道俊昭」氏の二人によって生み出されるお酒「遊穂」。
二人の共通する日本酒への考え方は、「主役である料理に寄り添う日本酒である」ということ。「フルーティーな香りは個人的には一切いらない」と言い切る藤田社長からわかるように、遊穂というお酒は、熟成酒のイメージが強く、クラシックな印象を受けるが、実際に訪問してみると造りや設備は非常に先進的で、そのような現代の造りを加味しながらも、あえて自分たちが表現したいお酒を追い求めているという、真の実力を感じます。
熟成により真の力が発揮される遊穂。それを地味なイメージではなく、食卓に華を添える存在として表現したのが、この「年輪」シリーズです。
The flavour deepens as it matures.
Sake that enhances dishes and colours the table.
"Yuho" was produced by the current president, Miho Fujita, who jumped into the brewing
industry and took over the management of the brewery from 2003, and Toshiaki
Yokomichi, who has been enthusiastic about Japanese sake and studied in numerous
famous breweries. Their shared belief about sake wine is that “To make sake not to be
the main character but a supporting character to enhances dishes.” As Ms Fujita says
“I personally don’t want to drink sake wines with a fruity aroma.”, Yuho has an impression
of aged and classic sake. However, the equipment and the sake-brewing method
are very modern. Adopting modern ways of sake-brewing, they pursue the sake that they
want to express. Yuho shows real power by ageing. Ageing sake is not simple but essential
to enhance the dishes.。
滋賀県高島市安曇川で奥様と二人三脚で米造り一筋で頑張っている専業農家・清水光男さんの作る「玉栄」を使用。美味しくて健康なお米を作る為の努力を惜しまず、新しい事にも挑戦し続けている農家さんです。今回は清水光男さんへのオマージュ的な酒造りのつもりで、玉栄の魅力を最大限生かした綺麗な甘味と、当社の特徴である調和の取れた酸が特徴で、食中のお酒として(特に安曇川の牛肉とか?)お愉しみ頂ける純米酒を醸しました。

蔵元 「御祖酒造」
料理に寄り添う酒であること。
主役である料理に寄り添う日本酒であること。料理と共にお楽しみ頂ける日本酒であること。料理に添う酒である為には、日本酒の旨味があり調和のとれた酸のある日本酒でなくてはならない。吟醸ならば料理を邪魔しない、そんなほのかで上品な吟醸香のある日本酒。それが私達の造り出す遊穂というお酒です。

デザイナー 「イマイ ユタカ」
発酵のちから、能登の自然、そして造りての情熱。そんなキーワードを集めてひとつのデザインに。
[プロフィール]
すずたま クリエイティブファクトリー 代表・デザイナー
東京都生まれ。高校卒業後に後、映画学校へ行き、より本格的に学ぶために二十歳で渡米。大学で映画とグラフィックデザインを学ぶ。アメリカで6年半暮らしたあとに帰国し、東京のデザイン会社に務めるも、人混みに溢れた都会の生活に馴染めず、能登移住を決意。
移住後、2011年にデザイン会社すずたまクリエイテイブファクトリーを開業。過疎と言われる地域でも、生産する人はまだ沢山いるが、それをデザインプロデュースできる人材がいないことから、能登半島珠洲市の先端で、さいはてのデザイン事務所を開く。地域をデザインのちからでささえる事、「地域+デザイン、地域デザイナー」として活動している。